2009年05月15日

河合優子 日本到着(5)

日本到着(4) より続き

岡崎で暗闇で弾いたことがきっかけで
13年前のウクライナでのできごとが
突如として鮮烈に脳裏によみがえり
自分でも驚いています。

当時のルヴフの写真は
すべてポーランドに置いてあるので
今いる日本には写真が1枚もなく、
このブログに当時の写真を載せられないのが残念です。

でもこんな気持ちになって 文章を書いていられるのも今日までです。

これから移動の日々が始まり、6月末まで
平均して週に2回演奏する
極度の集中期間になります。
おそらく、ブログも書けないと思います。
私が演奏に全力を傾け、 今回滞在中最後の公演、6月27日(土)の
浜離宮朝日ホールのショパン全曲演奏会まで
すべての演奏会をベストコンディションで
よい結果を出すまで、 私をあたたかく見守ってくださっている
親愛なるマネージャー、Mさんにバトンタッチして
責任を持って演奏に打ち込みたいと思います。

これから6月までに各地で演奏する曲は
J.S.バッハのプレリュード、
ショパンのバラード全曲・即興曲全曲、
モデラート ホ長調、ギャロップ・マルキ、
ノクターン ハ短調、「春」ト短調(歌曲より)、
3つのエチュードDbop.36、マズルカ ハ長調、
タランテラ 作品43、ピアノ協奏曲第1番(1台版)、
プレリュード「雨だれ」、英雄ポロネーズ、などです。

コンサートホールでぜひおめにかかりましょう。

河合優子

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2009年05月14日

河合優子 日本到着(4)

(日本到着(3) より続き)

最初の曲目はショパンのロンド第3番でした。
変ホ長調 作品16の長いロンドです。
跳躍箇所もあるのですが、暗くても気になりませんでした。
客席の空気、お客様のあたたかく熱心な気持ちが
暗闇の向こうからまっすぐ伝わりました。
本当に聴いていただいている、とすぐに感じました。

この時の私は総レースの白いドレスで、首に
黒のビロードのリボンの首飾りをつけていました。
舞台にぼんやり白い姿が見えていたかどうかは
わかりません。

リサイタルの前半、最後の曲は
ショパンの幻想曲 へ短調 作品49でした。

幻想曲を弾き始めたころには
電気はすでに戻っており
照明係のお兄さんは
「どこで電気をつけようか」と相談していたそうです。

私は何も知らずに一生懸命弾いていて
暗闇の中で
幻想曲のファンタジーの世界に没頭していました。

あの曲の最後、勝利の行進とうねる波が昇りきったところで
減七の響きが半音階になってなだれ落ちてきます。
歌声が響き、静かになった後
変イ長調の静かで平和な分散和音がたちのぼり
星のようにきらめき、消えます。
そしてふたつの和音が鳴り響き、終わります。

曲を閉じる、幸せでたっぷりした長い全音符。
この最後の和音を響かせた瞬間、
真っ暗だったホール全体が
放物線がきれいに描かれ、広がるように
フェルマータのかかった全音符分の時間をかけて
なだらかに、さあっと明るくなりました。
この曲を知っている人でなければ、とてもできない技でした。

その光にまるで吸い寄せられたかのように
拍手の嵐が沸き起こりました。
忘れられない瞬間でした。

(続く)

河合優子


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2009年05月13日

河合優子 日本到着(3)

 (日本到着(2) より続き)

ルヴフ(ポーランド語読み)は、パデレフスキのオペラ〈マンル〉が
1901年6月8日に上演された街です。
ピアニストのM.ローゼンタールはルヴフ出身ですし、
ヴィオラのユーリ・バシュメットも幼少をルヴフで過ごしています。

チャイコフスキー通りにある、フィルハーモニーホール。
出演した国際フェスティヴァル期間中、
ホール正面玄関上部には各国国旗が掲げられていて
日本の日の丸を見つけて嬉しくなったのを覚えています。

停電になった時は、確かリハーサルの最中でした。
しばらくしたら電気が戻るかと気長にすわっていたのですが
一向にその気配はありません。

どのくらい時間がたったでしょうか、 その日の調律師、アナトリーさんが
火のともったろうそくを持ってステージそでに現れました。

アナトリーさんはお顔が武満徹さんによく似ていらっしゃって
暗闇の中、ろうそくの光にぼんやりと浮かび上がった色白のお顔は
その時まるで幽霊のようにも見えて 私は少しどきっとしました
(1992年のワルシャワ、Takemitsu Days で  初めておめにかかった武満さんは
 1996年2月に天国に旅立たれ、まだそれから数ヶ月しかたっていなかったのです)。

「ろうそくをピアノの横に置いてあげるから。これで何とかなるよ。」
アナトリーさんが優しくおっしゃいました。
私はとても安心しました。

燭台がセットされ、ろうそくの光が
スタインウェイの横で揺れていました。
リサイタルが始まりました。

(続く)

河合優子

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2009年05月12日

河合優子 日本到着(2)


Photo:佐藤 亘

(日本到着(1) より続き)

追悼演奏会の後半の始まりです。
暗闇の中を黒いドレスで
拍手をお受けせずステージに出て
靴音を立てないよう、お客様に演奏者登場がわからないように
静かにピアノに向かって歩いて行きました。

椅子にすわり、鍵盤に顔を10センチくらいまで近づけると
白鍵と黒鍵が区別できました。

真っ暗なステージで
葬送行進曲冒頭の黒鍵、変ロ音を2オクターヴ分
そっと指で探し当てます。
最初の和音を出してしまえば、あとは見えなくても大丈夫でした。
ラフマニノフ=コチシュ編曲の〈ヴォカリーズ〉に向けて
ほんの少しずつスポットライトを当ててくださってあって、
演奏後に立ち上がった時に
初めて舞台が明るくなりました。

そういえば今から約13年前に
同じような暗闇の経験がありました。
でも、その時は暗くしたのではなく、停電です。

雷が大きな音をたてて落ち、街中の電気が消えました。
真っ暗になったホールで
ろうそくのかすかな光をたよりに
リサイタルをおこなったのです。

それは95年のショパン・コンクール後、1996年の春でした。
2月と3月にポーランド全国ツアーを終えた私を
コンクール後に初めて招待してくれた外国が
隣国、ウクライナでした。

戦前はポーランド領であった、伝統ある美しい街
ルヴフ(リヴォフ または リヴィウ Lviv)の
フィルハーモニーホールです。
(続く)

河合優子

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2009年05月11日

河合優子 日本到着(1)

親愛なるマネージャーMさんからお話をいただきました。
みなさまこんにちは。ピアニストの河合優子です。


5月のはじめに日本に着きました。


⇒ワルシャワ−フランクフルト間の機内で読んだ新聞・雑誌


約2ヶ月間日本に滞在し、各地で演奏いたします。
常に全身全霊でステージに臨みます。
みなさまとコンサートホールでお会いできますように。

インフルエンザが心配でマスクをしてきましたが、
フランクフルト空港でもマスク姿はほとんど日本人のみ。
機内は思ったよりすいていて、朝食がおいしかったです。



日本に着いてからの1週間は家から出ないで、昨日5月10日に初めてステージに立ちました。
岡崎市シビックセンターコンサートホール コロネットでの鈴木孝子先生追悼演奏会。
東京から聴きにいらした先生もいらっしゃいました。
ショパンのいわゆる“葬送行進曲”とラフマニノフ=コチシュのヴォカリーズを弾きました。
真っ暗な中で弾き始めたので、驚かれたお客様もいらっしゃったことと思います。
(つづく)

河合優子


河合優子コンサートスケジュールはこちらから。
http://www.concert.co.jp/cgi-bin/artist/index.cgi?no=49
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